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BAYASHI WEBについて
BAYASHI WEBへお越し頂きありがとうございます。バヤシ (@muraba1)です。
中国で13年生活して2016年に日本へ戻ってきました。
独自メディアを目指して、下衆なネタから、社会的なものまで幅広く記事にしていきます。
自己紹介
名前 :村林勇紀(むらばやしゆうき)
生年月日:1981年8月26日 35歳
出身地:三重県松阪市
家族構成:妻 娘2人
趣味 :燻製作り、自由律俳句、中国古典、ラジオ、HIPHOP
特技 :空手、中国語、デザイン
小学校時代
三重県松阪市で生まれました。
自分で遊びを作るのが好きで、オリジナルの遊びをやっていました。
同級生と遊ぶよりも近所の上級生とよく遊んでいました。
河原の石集めに一時期ハマっており、部屋中が石だらけになっていました。
小学校時代一番覚えている記憶は、カマキリの卵を引き出しに入れておいたら
ある日孵化したカマキリが部屋中に溢れかえったことです。
中学校時代
地元の中学で野球部に所属して毎日野球漬けの日々でした。
上級生が引退した中2の夏には確かに試合に出ていましたが、
その後能力が開花することはなく、中3の最後の試合はベンチで終えました。
でもベンチで補欠仲間と野次っている時が一番楽しいと感じていました。
高校時代
極真世界大会でフランシスコフィリォが外国人で初めて優勝したとき、このままでは大変だと思い、町の空手道場に通い始めました。
結果空手はその後も続けることになるのですが、空手以外は特にやる気もなく、読書とラジオが好きな高校生でした。
読書が好きだったので、国語だけは楽しかったですが、あとは極端に悪い成績でした。
赤面症が発症したのもこのころです。
今までは面白いことを考えたり、したりするのが好きでしたが、赤面症になってからは、自分が目立つことが嫌になりました。赤面症になった原因はココでは言えませんが、そのことが原因で、その後ずいぶんと長い間、自信がないまま過ごすことになります。
休日は外で遊ぶことはせずに、筋トレしているか、ラジオを聞くのが楽しみでした。本当はもっと楽しい高校生活や、恋愛もしたかったですが、暗黒の高校時代を過ごします。
SUPERCARというバンドにドハマりしていたのもこの時期です。
大学時代
高校時代大した勉強もしていなかったので、心理学部への進学を希望したのですが、全て不合格だったので、3年生から心理コースが選べる情報学部に進学しました。
自分自身の心理がもっと理解したいと思って、発達心理学のゼミに入りましたが、結局理解できたのはほんの少しでした。
部活は空手部に在籍しており、毎日の昼休みに練習があったので、汗でベタベタのまま午後の授業を受けて、気持ち悪がられました。
便所飯をし始めたのもこのころです。以前他人の視線が気になり、ヘッドフォンをして爆音で音楽を流していないと、皆が自分の悪口を言っているような錯覚に陥っていました。
自信が無いので、日本以外に活路を求め、海外旅行に行ったのもこのころです。
タイ、インド、バングラデシュ、ペルー、シンガポール、韓国、アメリカと、バイト代が貯まると旅行へ行っていました。
ペルーでダンスの上手なムチムチガールに恋したり、バングラデシュの駅で寝ていたら、朝バングラデシュ人に囲まれて村長の家に連れていかれたりしたのは良い思い出です。
そのあたりから、自分自身を肯定できるようになってきました。
そうすると、今までやりたくても我慢して出来なかったが溢れてきて、毎日寝るのがもったいないという気分になっていました。
自分でTシャツのデザインを作って、道で販売したり、
時給でバイト代稼ぐのはカッコ悪いと思い、「何でもやります!」と書いたチラシを近所にポスティングして犬の世話や、引っ越しの手伝い、もっとヤバいことなどを手伝ったり、
般若心経を覚えたくて四国88個所を周ったり、
段ボールで生活したり、
今考えると若気の至りと呼べるようなことを繰り返していました。
でも、自分のしたいと思うことをする中で、会社に所属して生活するだけでなく、自分でお金を生み出すことの楽しみは体験として得ることができました。
それが現在フリーで仕事をする立場にも活きていると思います。
社会人時代
地元の会社で自動車部品メーカーへ就職することになりました。
初年度から中国工場へ赴任することになり、結果13年間のサラリーマン人生はほぼ中国で過ごすことになりました。
中国へ行ったときは中国語はゼロの状態。
会社の派遣として、大学へ語学研修へ行きました。そこで中国語を学ぶと、すっかりその魅力にハマってしまい、午前中が学校、午後は道行く中国人相手に会話の練習、夜はクラブで女子を探す。みたいな生活でした。
中国で学生をしていた時期が一番楽しかったように思います。
3ヵ月の語学研修が終わると、仕事で中国市場開拓の担当となりました。
2004年当時の中国は日系企業の進出が相次ぎ、景気も毎年右肩上がりで伸びていた時期なので、面白い仕事がたくさんできました。
中国人との付き合い方や、仕事のダイナミックさを感じることができたのは財産だと思っています。
最初の8年くらいはずっと中国人との寮生活でしたので、必然的に中国人の生活や、語学を身につけることができました。
当時住んでいた町には、若い日本人はほとんどおらず、凄く珍しい存在として扱われましたが、楽しかったです。
退職し福岡へ
2016年に会社を退職し、福岡へ移住してきました。
その前に日本各地を回り、自分の住みたいと思える場所に住もうと思っていたので、3ヵ月程時間をかけて色々と回りました。
その中で福岡県糸島市に滞在したときに、自然が豊かで、子育ての環境もよく、中国人旅行者も多い土地という候補に全て当てはまったので、糸島へ移住しました。
今の仕事
今はフリーライターとしての仕事と、翻訳家、中国関連の仕事を行っています。
中国ウォッチャーとして、最新の中国トレンドを分析しながら、中国に興味のある人への発信をし続けています。
民泊式ゲストハウス
2017年中に民泊対応している宿泊所を作る予定です。実際に自分たちの住まいに旅行者を泊めて交流をするという形です。
今後民泊新法が設立されたときに、先頭となり、民泊の楽しさを発信していきたいと思っています。
燻製工房
自宅に併設した専用工房で作る燻製「SMOOOOOKE」の製造・販売を行います。
365日燻製を食べ続ける生活をしたいので、この道を究めていきたいです。
フリーライター
クラウドサイト他でフリーライターとして活動しています。
ブログを通じても発信をし続けていき、アンテナを立てて面白い記事を書き続けたいです。
福岡旅行者向けに個人カーシェアリングしています
全てのライフスタイルをシェアしていきたいと思っています。
まずは車を格安でシェアしています。
お問い合わせ
取材依頼、イベント案内、中国語のノウハウ、インバウンド中国顧客獲得など、ご興味があれば何なりとご連絡ください。